お笑い観測所

お笑いや芸能ニュースについて書いています。

高橋みなみがAKB卒業!金スマで語った解散危機、嫌われる勇気とは!?

   

4月8日放送の中居正広のキンスマスペシャルは
高橋みなみさんのAKB48卒業を特集しました。
今まで語られることのなかったAKB48の解散危機や
高橋みなみさんがどのようにして
AKB48のリーダーとなっていたのかについて語られました。

スポンサーリンク

高橋みなみがAKB48を卒業

会いに行けるアイドルとして秋葉原に劇場を構え、
2005年に活動を開始したAKB48。

高橋みなみさんは初代総監督として
グループを支えてきましたが、
2016年4月8日の劇場公演を最後に
AKB48を卒業しました。

ゲスト

  • 高橋みなみ
  • 前田敦子
  • 小島陽菜
  • 峯岸みなみ

AKB48第一期生

高橋さんは前田敦子さんらと共に
オーディションで合格した24人の第一期生の一人でした。

最初はダンスが下手で、
メンバー達の足を引っ張っていた
落ちこぼれだったと言います。

しかし、高橋さんには
他のメンバーにはない大きな武器がありました。

それは積極的に取り組む姿勢でした。

自分が足を引っ張るわけにはいかない、
とレッスンから帰ってからも
明け方まで練習に明け暮れ、
睡眠時間わずか3時間で
朝からのレッスンに出かけるという毎日だったそうです。

みんなが慕う存在

秋元さんは当時の高橋さんを振り返り、

彼女が誰よりも練習をして
誰よりも真剣にやっているのを見て、
この子は背中を見せているなと思った。
それを見てこの子はみんなが慕うだろうな、
みんなが認めるだろうなと感じた。

と話しました。

前田敦子にはなれない

高橋さんはリーダーに
指名されたわけではありません。

前田敦子にはなれないと感じ、
グループの中の立ち位置を考えたときに、
たまたま空いていたリーダーというポジションに
自分の居場所を見出しました。

年上のメンバーもいる中、
リーダーとしてチームを率いるのは大変だったと言います。

そんな高橋さんを救ったのは
秋元さんのメールでした。

誰からもいい人だと思われる人は
ある意味どうでもいい人だ。
恐れず、自分の意思を曲げずに言ってみればいい。

嫌われる勇気を持ちなさい。

このメールに高橋さんは救われたと
当時を振り返りました。

いつしか高橋さんは
秋元さんにとって相棒とも言える存在になっていました。

握手会の始まり

劇場オープン8日目に舞台装置が故障し、
この日の公演は中止になりました。
せっかく集まってくれたファンを
そのまま帰すわけにはいかない、
そのお詫びとして始まったのが握手会でした。

以来、ファンとの交流には
欠かすことのできない場所として親しまれてきました。

一大イベントに成長

当初は劇場だけで開かれていましたが、
人気の上昇と共に各地で開かれるようになり、
やがては1日で10万人以上が集まる
一大イベントに成長しました。

AKB48解散の危機

2014年5月25日岩手県で
AKB48握手会襲撃事件が発生し、
メンバーの川栄李奈さんと入江杏奈さん、
スタッフの計3人が斬りつけられました。

高橋さんはこの時を振り返り、
AKBとして活動してきた
10年の中で1番の危機だったと語りました。

ルールやマナーの徹底

警備や会場整理スタッフが配置されていましたが、
ファンの間でもルールやマナーが徹底され、
それまでは大きなトラブルが起きたことはありませんでした。

トラブルを起こせば握手会ができなくなると、
ファンは理解していたのでした。

事件発生

開始から4時間近くが過ぎた16時54分頃、
高橋さんの隣のレーンから突然悲鳴が聞こえてきました。

会場は騒然となり、
メンバーやファン達は緊急避難しました。

秋元康さんにもすぐに一報が入りましたが、
現場は混乱していて
状況は把握できなかったそうです。

悲鳴を聞いた警備員によって
すぐに犯人の男は取り押さえられ、
駆け付けた警察により、現行犯逮捕されました。

グループの根本を揺るがす危機的な事態

この日高橋さんはメンバーとスタッフをまとめ、
現場を指揮しました。

事件発生後、高橋さんはすぐに秋元さんに連絡し、
「AKB48は終わりました」
と伝えたそうです。

秋元さんは高橋さんのこの言葉で
何が起きたかをすべて理解したと言います。

AKB48にとって握手会は
「会いに行けるアイドル」の象徴であったため、
事件はグループの根本を揺るがす危機的な事態でした。

握手会は中止へ

高橋さん達はすぐに東京に戻り、
その夜緊急会議が開かれました。

現場にいなかったスタッフからは
「ファンを安心させるためにもすぐに握手会を再開すべき」
という声が出ました。

「状況分かってるんですか!?」

握手会を再開すべきという意見に対し、
高橋さんはスタッフに意見し、
みんなが危機的な状況を理解したと言います。

高橋さんの意見を受けて
以降の握手会は中止となりました。

握手会の警備体制が批判される

事件後、多くのメディアは
ファンとの信頼関係で成り立ってきた握手会の
警備体制を批判しました。

高橋さんはテレビを観ながら
「来たこともないくせに」
と思っていたそうです。

AKB内部で今後の握手会の
体制見直しの協議が始まっていました。

解散危機へ

数日後、秋元さんから高橋さんに電話があり、
AKBの解散が提案されました。

高橋さんは「現時点では答えられない」と
即答は避けたそうですが、
高橋さんがAKBグループにとって
秋元さんの次くらいに重要な
立ち位置になっていたことが分かるエピソードですね。

犯行の動機

日本の芸能史には
芸能人がファンに襲われた事例が多くあります。
そのほとんどは熱狂的な思いが溢れての暴走です。

しかし、この男の動機は
過去の事件とは全く違ったものでした。

無差別的な犯行

テレビでAKB48を観た男は
「この人たちは儲かっている」
と思いました。

犯行の動機は収入がなく、
つまらない日々の八つ当たりだっと言います。

さらに男は非力な女性なら抵抗されることもない、
女性であれば標的は誰でも良かったと供述しています。

男はAKBのファンですらなく、
自らのうっぷんを晴らすことだけが目的の
無差別的な犯行でした。

高橋みなみからのメッセージ

犯人はAKBのファンではありませんでしたが
AKBのファンは危ないと報道されたりなどして、
高橋さんはこんな一瞬でいろいろ言われるんだな
と困惑していました。

「ファンでもない男の身勝手な犯行で
本当に築いてきた9年の歴史を終わらせていいのか…」
迷った高橋さんはSNSで

ファンのみんなと
築いてきた絆とメンバーの思いを舐めないでほしい。

私の大切なAKB 大好きなAKB

私は絶対に負けたくない
負けたくないんだ

とメッセージを発しました。
それは事件や批判には
絶対に屈しないという強い決意でした。

握手会復活へ

高橋さんから発せられたこのメッセージに
握手会の復活を望む声が全国から集まりました。

そんなファンの声を受け、
41日ぶりに握手会が再開されました。

金属探知機を使った手荷物検査が行われるなど、
警備体制は全面的に見直されました。

犯人には懲役6年の実刑判決が下されました。

結成10年へ

厳しい時代や事件を乗り越え、
AKB48は結成10年を迎えました。

秋元さんは高橋さんの誕生日に
手紙を送りました。

AKB48が売れていない時代からメンバーを支え
スタッフを引っ張り、
ファンの皆さんと正面から向き合ってきたのは君です。

世間から非難された時も君は逃げることなく
その小さな体で受け止めました。

理不尽なことも一杯あったでしょう。
でも君は不平や不満どころか
愚痴ひとつこぼしませんでした。

また、秋元さんは高橋さんの本の帯では
こうも語っています。

AKB48とは高橋みなみのことである

卒業する今だから語る10年

金スマでは高橋さんが卒業する今だから
語れることが紹介されました。

秋元康を怒らせた夜

めったに怒ることのない秋元さんが
この10年で唯一激怒した出来事があると言います。

それは2011年7月に開催された
西武ドームコンサートでした。

デビュー5年半にして
初めてのドーム公演だったライブ初日、
過密スケジュールもあってか
ファンの前で明らかな練習不足が露呈されていまいました。

秋元さんは疑問を持ちながらもスタッフに
意見しないメンバーへの怒りを露わにしました。
自分たちでステージを作るという
意識が低かったことが原因でした。

翌日のコンサートには過呼吸になりながらも
ステージに立ち続けるメンバーの姿がありました。
秋元さんはこのときのコンサートを
高橋さんがリーダーとして一皮むけたきっかけだったと語りました。

高橋さんは「メンバーのリーダー」から
スタッフまでけん引する
「グループ全体のリーダー」へと成長していったのです。

高橋みなみは秋元康の分身?

年上でもスタッフはみんな高橋さんにとっては後輩です。
そんなスタッフに注意するとき、高橋さんは
「嫌われる勇気を持ってください」と
かつての秋元さんの言葉を
自分の言葉のように使ったそうです。

高橋みなみ激怒事件

2012年当時、社会現象を起こしていたAKB48は
年末の音楽番組やバラエティ番組に引っ張りだこでした。

日本有線大賞では放送終了後、
打ち上げパーティーが行われ、
出演した全アーティストが出席するのが恒例でした。

しかし、年末で番組が続き疲れているとのことで
スタッフがメンバーを帰してしまいました。

メンバー達に気を使うスタッフに対し、
「お前らビビってんのか?」と
高橋さんは激怒しました。

2013年の音楽番組でゴールデンボンバーとコラボした際には
かき氷の早食いパフォーマンスをし、
番組は盛り上がりましたが、
峯岸さんが器を割り、
床にガラスが飛び散ってしまいました。

リハーサルの時には器は
プラスチックだったため
完全にスタッフのミスでした。

高橋さんは担当のディレクターに激怒しました。

以来スタッフの間では
「たかみなを怒らせてはいけない」
と言われるようになりました。

AKB48はプロデューサーの秋元さんと現場の高橋さん、
まさに二人三脚で作り上げられてきたのです。

秋元康 最後の手紙

卒業を前に高橋さんへ
秋元さんから最後の手紙が送られました。

改めて手紙を書こうとすると
なかなか言葉が浮かびません。

それくらい君とはこの10年間、
話してきたような気がします。

2人で話し込むような機会は
少なかったかもしれませんが、
電話やメール、ラインで
いっぱいやり取りしましたね。

何より、僕はAKB48の歌詞の中で
君に話しかけました。

どこかで会うと君は「秋元さ~ん」と
僕の目を見つめましたよね。
それだけで君が僕に言いたいことは分かりました。

その上で僕の下した判断がすべて正しかったのか?
今でも自問自答することがあります。

総監督を横山由依に託そうと話し合っていた頃、
君は最後まで迷っていましたね。
「こんなつらい思いは私だけでいい」と…。

君が背負っていた荷の重さに
申し訳ない思いでいっぱいになりました。
それからしばらくして、
「横山にもここからしか見えない景色を見せてあげたい」と
次期総監督に横山由依を指名した時、
少しだけ救われた気がしました。

”重い荷物を背負った者にしか見えない景色”
それにも意味があったと思ったからです。

君の本の帯に「AKB48とは高橋みなみのことである」
と書いたことがあります。
君のひたむきな汗、ファンの皆さんへの感謝の気持ちや
メンバーを支える思いやり、夢を信じる力は、
秋葉原の小さな劇場からスタートした
アイドルグループの希望、そのものです。

「努力は必ず報われる」
君は生涯を懸けて証明してみせると言いました。
人は大人になると諦める理由を探してしまいます。
だからこそ、君は自分のことを信じ続けて欲しい。

平坦な道ばかりではないかもしれません。
どんなに苦しくても、
この10年、頑張ってきたようにずっとジタバタして欲しい。
届かないように見えても、
夢はきっと手を伸ばした1mm先にあります。
頑張れ。
僕もこれから応援します。

僕も作詞家ですから、
最後に気の利いた言葉を贈ろうと思ったのですが、
この言葉しか思い浮かびません。

最後に「ありがとう」

卒業公演

4月8日秋葉原のAKB48劇場で行われた卒業公演、
最後に歌われたのは高橋さんが初めてセンターを務めた
「桜の花びらたち」でした。

涙を流しながら歌う高橋さん。
ステージ裏には涙を浮かべる秋元康さんの姿がありました。

 - 金曜日のスマイルたちへ