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[金スマ]小林幸子のお家騒動の真実!紅白復活の裏側で何が!?

   

1月22日の中居正広の金曜日のスマたちへは
小林幸子さんのお家騒動の真実を特集しました。
2015年の紅白歌合戦の裏側で何があったのでしょうか。

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始まりは2012年の事務所お家騒動

4年前に起きた事務所トラブルをきっかけに
小林幸子さんは芸能界から姿を消してしまいました。

出演者

  • 大竹しのぶ
  • ベッキー
  • 室井佑月
  • 假屋崎省吾
  • 山田美保子

個人事務所幸子プロモーション設立

小林幸子さんは1987年33歳のときに
大手芸能プロダクションから独立し、
個人事務所幸子プロモーションを設立しました。

その時、一緒に会社を立ち上げたのが
女性スタッフのAさん(社長)とBさん(経理)でした。

独立後、小林さんは演歌だけでなく、
テレビやラジオ、アニメの世界など各方面で活躍しました。
事務所も10名を超える大所帯になっていきました。

AさんとBさんが事務所を退社

2012年3月に長年芸能生活を一緒に歩んだ
事務所の社長Aさんと経理のBさんが退社しました。

これが騒動の始まりでした。

クビが、自主退社なのか

これにマスコミが飛びつき、連日ニュースになりました。
マスコミの報道は日に日に加熱し、
真実でないことまで書かれ、大騒動に発展しました。

争点はクビなのか自主退社なのかということでした。

騒動は時間と共に収束しましたが、
小林さんには無情な解任騒動、恩人社長を切り捨てたなど
長年苦楽を共にしてきた仲間をクビにしたひどい女という
最悪のイメージが残ってしまいました。

冷酷な女のイメージは人情を歌う演歌歌手にとっては大ダメージでした。
新曲の発売が延期されるという事態になってしまいました。

自主レーベルを立ち上げ新曲発売へ

レコード会社から新曲が発売できないと告げられた小林さんでしたが、
34年連続で紅白歌合戦を出場するためには新曲を発売する必要がありました。

長い間お世話になったレコード会社と縁を切り、
自主レーベルを立ち上げました。

発売予定だった新曲はレコード会社との共同製作だったため、
自主レーベルからは発売できません。
マイナスなイメージがついてしまった小林さんに
曲を提供してくれる作家も見つかりませんでした。

芸能界の兄、さだまさしに依頼

どうにもならなくなった小林さんはさだまさしさんに
「兄ぃ助けて」と電話しました。
事情を聞いたさださんはたった一晩で曲を作ったそうです。

こうして2012年10月17日に
さだまさしさんに作ってもらった新曲「茨の木」を発売しました。

売上も順調でしたが、騒動の影響により紅白は落選し
33年続いた連続出場記録はストップしました。

ドン底の日々へ

本当に大変だったのはこれからでした。
騒動の話が世間から忘れられると、
新曲をリリースしても話題にすら上がらず、売上は激減。

テレビ局に売り込みに行っても
まるで腫れ物に触るかのような扱いだったと言います。
結果、歌手としてのテレビ出演も激減してしまいました。

自主レーベルとして
スーパーや全国のレコード店へ自ら足を運び手売りしていました。

奇跡の復活へ

浮上のキッカケを作ったのは意外なところでした。

ニコニコ動画出演へ

ネットを中心に若者に絶大な人気を誇る
動画配信サービス「ニコニコ動画」へ出演しました。

小林さんはニコニコ動画の番組で自分がラスボスと呼ばれていることを知りました。
ラスボスとはネット業界での小林さんのアダ名です。
小林さんの着る派手で豪華な衣装がテレビゲームのラストのボスに似ていると
2010年頃から話題になっていました。

これを聞いた小林さんはラスボスの意味も知りませんでしたが、
「楽しいです」と答えました。
すると、小林幸子がラスボス公認とネットが騒然となりました。

ネットに動画を投稿

素人がニコニコ動画やyoutubeで遊びでやっている
〇〇を演奏してみた、歌ってみたなどの挑戦企画を小林さんがやりました。
まさかの投稿にネットでは
「歌うまいじゃん!」などと大反響になりました。

わずか3日間でニコニコ動画史上最速で
動画再生回数100万回を達成しました。

いつしか演歌の小林幸子は
ネット界のカリスマ的存在になっていました。

そして昨年11月、紅白歌合戦に復帰が決まったのです。

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