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[金スマ]ディーン・フジオカを解説!結婚を決意したきっかけは

   

1月29日放送の金スマのゲストは逆輸入俳優ディーン・フジオカさんでした。
ディーンさんはマルチリンガルで、
さらに俳優・ミュージシャン・モデル・映画監督と様々な才能をお持ちです。
謎に包まれたディーンさんをマキタスポーツさんが独自の視点で解説しました。

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人生が格好いい

生まれと育ち

1980年8月19日生まれの35歳、福島県生まれの千葉県育ちのディーンさん。
幼い頃より、中国育ちのお父様の影響で中国語で数を数えさせられるなどして育ちました。
しかし、お父様もお母様も日本人なのでハーフではないそうです。

ジュノンスーパーボーイコンテスト

17歳の時にジュノンスーパーボーイコンテストに応募し(妹さんが応募したそうです)
最終選考の6人に残りました。
その時にデビューの話しも持ちかけられたのですが、
芸能界に興味がなかったので断わりました。

留学

1999年(19歳)に単身でアメリカ。シアトルに留学しました。
その時のホストファミリーから呼ばれていた愛称が「ディーン」だったそうです。
アメリカに定住しゆくゆくは会社設立を考えていたディーンさんですが
9.11のテロが起こり、ビザが取れなくなってしまいました。
そこで永住を諦めたディーンさんですが、日本に戻るのではなく
2003年(23歳)でバックパッカーの旅に出ました。

香港でスカウト

陸路で3ヶ月かけてアジアを周り2004年(24歳)の時に香港に立ち寄ります。
そして香港の中心街ワンチャイで夜のクラブイベントに参加しアメリカで鍛えたラップを披露しました。
それを見ていたファッション誌の編集者からモデルのスカウトを受け
香港の芸能界にデビューしました。
この時に覚えてもらいやすいように「DEAN FUJIOKA」を名乗ります。

サヴァイブ&パッション

やる気がなくてもスカウトされ、やる気を出したらいきなり映画の主役に抜擢されました。
2005年(25歳)の時「八月の物語」で喋ったことのない広東語を猛特訓し、なんとかこなしたそうです。
そしてそれを見た台湾の大物プロデューサー、アンジー・チャイさんに誘われ活動拠点を台湾に移しました。
台湾では映画だけでなくドラマ「ホントの恋のみつけかた」や「笑う花に恋きたる」に出演しました。

仕事を休止

有名になりすぎて町に出られなくなってしまい
「俺、こういう人生を生きたかったのかな…?」と悩み
一度全ての仕事を休ませて欲しいと申し出て
2008年(28歳)に恋人の住んでいるインドネシアのジャカルタに向かいました。

多彩な才能を持つディーン・フジオカ

ジャカルタで世界的有名なDJ Sumoさんと一緒に音楽制作に取り組み
オリジナルアルバムを作りました。

「My Dimension」というディーンさん作詞作曲の曲もあります。
ギターも弾け、歌も歌え、ドラムもピアノも出来るそうです。

何故日本に?

休養中でも沢山のファンレターが届き
「求めてくれる人がいるのにそれを放棄するのはダメだ。」と思い俳優に戻ることを決意します。
2010年(30歳)の時「セデック・バレ」という日本統治時代の台湾を描く映画に出演します。
その時に日本のスタッフの目に止まり、日本に来ないかと誘われます。
しかしその時はハリウッドは見据えていても日本は目に入ってこなかったそうです。

日本でも初仕事

台湾に住みながらでも構わないから、と熱烈に誘ってくれた日本の事務所に入ることになり
2011年(31歳)に日本での活動を開始します。
そして「I am ICHIHASHI」という問題作の映画の監督と主演を務めることになります。
それまで監督経験は0でしたが、プロデューサーと意見交換をしていく間に
ディーンさんに監督の白羽の矢が立ちました。

結婚

台湾での仕事も増え、2013年に結婚をしました。
2015年に双子のお子さんが生まれ、二児のパパになりました。

プロポーズ

ディーンさんのプロポーズは「I am ICHIHASHI」の撮影のさなかでした。
スーツケースに荷物を詰め、日本に旅立とうとした玄関先で
2〜3歩踏み出し振り返ったディーンさんは「結婚しよ」と奥さんに言いました。

「ふいに口をついた言葉だった。
彼女といれば世界中どこにいても
自分のハートが帰れるホームになると思い結婚しました。」

五代でブレイク

2014年(34歳)にアメリカドラマ「荒野のピンカートン探偵社」で
アジア人唯一の準レギュラーを獲得し全米デビューを果たしました。
そして2015年(35歳)フジテレビの「探偵の探偵」で日本の連ドラ初登場をし
9月にはNHKの朝ドラ「あさが来た」で五代友厚を演じ一躍人気者となったのでした。

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